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初心を忘れてはいけない

もしボクがいま、なにかをあきらめようとしている人を見かけたらこう声をかけると思う。

 

「大丈夫だよ。もう少しでキミの順番がやってくる。それまで準備して待ってるといい」

 

順番、というものはある。そう思う。そして、それは継続してなにかに取り組んでいるものにしかまわってこない。当たり前だが、やめてしまったものには永久にまわってこない。

 

そうはいっても、続けることはむずかしい。余計なことをごちゃごちゃ考えないでじぶんにできることを淡々とやり続ければそれでいいと思うのだが、余計なことを考えてしまうのが人間だ。

 

「この方法でいいのだろうか」「自分にはもっと向いていることがあるんじゃないか」「こんなことやっていて、食べていけるのか」

 

すべて、余計なことである。考えてどうにかなることではない。しかし、それを考えてしまうのが人間である。

 

とりくんでいて楽しい、というのが原則である。溢れてくる喜びと戯れる。ひたすらに無条件だ。それが、長続きするために大事なことだと思う。

 

お金のため、誰かのため、生活のため。

 

これらは無条件な喜びを曇らせてしまう。そうして生きる喜びを喪失してしまう。

 

始めたときのことを思い出してみよう。きっと、単純に楽しかったのだ。初心を忘れてはいけない、というのは、始めたときの純粋な喜びを忘れるなということだ。

未来の世界の一側面

あらゆるサービスがパーソナライズ化していく傾向がある。個々人の特性にあわせて最適化されたサービスが提供されるのだ。

 

この傾向を強力にあと押ししてくれるのが、人工知能。

 

いま、ネット空間では言葉を手掛かりにして情報を検索している。そして、すべてのデジタル情報がその検索の対象になっているわけではない。

 

言葉による検索という行為は、しだいにすたれていくだろう。そして、ぼくたちの嗜好や性格はどんどんデジタル情報化されて、ありとあらゆる情報がぎっしりと詰まったウェブ空間から、人工知能が最適な情報をみつけだしてくれるだろう。

 

需要と供給のマッチングの精度が飛躍的に向上すれば、あらゆるサービスが変化する。

 

「探す」時間が省けるから、そのぶんの時間をほかのことにまわすことができる。

 

インターネットがぼくたちの生活に登場してから、まだ15年くらいしかたっていない。あと、15年したら、社会はおおきく違ったものとなっているだろう。

つぶれた魂に義足はつかない

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『セント・オブ・ウーマン』という映画で、アル・パチーノ演じるスレード中佐がラストシーンでこんなセリフを言います。

わたしはここいる若者よりも、もっと若い連中を戦場でみてきた。

むかしは見える目があった。

ある者は腕をもぎとられ、ある者は足をふっとばされた。

でも、いちばん悲惨だったのは魂をつぶされたやつだ。

なくなった魂に義足はつかないんだ。 

 

このあとに、こんな言葉がつづきます。

 わたしも何度か人生の岐路に立った。

どちらが正しい道なのかはちゃんと判断できた。

でも、わたしは正しい道を選択しなかった。

それは、困難で、高潔さが必要で、なにより勇気がいる道だったからだ。