やりたいことや夢をみつけるにはどうすればいいだろうか
ゲーテはこんな言葉をのこしています。
人はどのようにして自己を知りうるだろうか。
観察によってではない。
おそらく行為によってだろう。
汝の義務をなすように努力せよ、そうすれば汝は自分が何者であるかを、すぐに知るだろう。
しかし義務とは何だろうか。
それは日々に生活が要求する事柄である。
こういう言葉をのこしてるっていうあたりに、かなり生意気ですが、「いやぁ、ゲーテ、わかってるなあ」って心の底から思うんです。
最近もいるんですかね、「好きなことがみつからないんです」とか「何やったらいいのかわからないんです」っていう人。ぼくが若いころに比べたらなんだか、ずいぶん減っているような気がします。最近の若いひとって、みんな落ち着いてて、ぼくらの世代みたいにみっともないあがきかたする人ってあんまりいないような気がしてます。自分の分をわきまえているというか。
だから、ぼくは個人的に最近の若いひとたちが好きです。偏見かもしれませんが、ぼくらの若いときって上の世代の人たちが変なあがき方してて、たとえばITバブルっていうのがあったんですよ。で、なんだか知らないけどベンチャーとかすごく流行って、ヒルズ族とかいう連中が六本木ヒルズのマンションに住んだりして。
なんか、リーマンショックでみんな吹っ飛んだらしいですけどね。とにかく、ぼくらより上の世代は、そういう意味の分からない挑戦の仕方をしていたひとが結構目につきました。最近のベンチャー企業をみていると、そういった人たちよりもはるかにしっかりしている印象があって、堅実さを兼ね備えているひとたちが多い印象を受けてます。
だから、冒頭のゲーテの言葉もピンとこないひとが多いかもしれないですね。ピンとこないというよりも、「そんなこと、もう知ってるよ」っていう感じで。
だから、この歳になってこういう言葉に感慨を抱いているぼくのような人間は、あんまり大人ではないってことになるんでしょうけど。
いろんなひとがね、いろんなことを言うんですよ。そして、マスコミって呼ばれる存在がまやかしを僕らにみせるんです。若いからね。憧れちゃうんですよ。で、勘違いする。これこそぼくがやりたいことだ、これがぼくの夢だってね。ぼくだけじゃない、ぼくの周りにもそういったまやかしに惑わされて、ずいぶんと時間を消費してしまったひとがいます。
まったくゲーテの言う通りで、例えば就職活動がせまって自己分析とかいくらしたって自分のことなんてあんまりわかんないんですよね。ひとに聞いて回ってもあんまり意味ないし。で、どうやったら一番よく分かるかっていうと、行動してみること。これが一番いい。
行動してみて、しっくりくるかどうか。これこそ、ぼくが惑わされてしまったマスコミのまやかしに振り回されない、いちばんの処方箋です。いくらかっこよくみえたって、自分で実際にやってみて、しっくりこなければそれまでです。なんといっても大切なのは、何年も続けることができるかどうかってことですから。しっくりきてないことは、どうやったって長続きするもんじゃない。
やりたいこととか夢ってもっと現実的なものだと思うんです。生活って言ってもいい。生活こそがやりたいことであり夢である。そう言ってしまってもいいかもしれない。だから、生活を大切にすべきだ。
ミュージシャンとか画家とか、芸術家とよばれているひとたちなんですが、彼らにしたら楽器を演奏したり絵を描いたりすることっていうのは生活なんですよね。いくらお金に困ろうが体調が少しくらい悪かろうがやめれるようなもんじゃないんです。
毎日ご飯を食べるように、ご飯を食べ終わったあとに歯を磨くように、そんなレベルで彼らは楽器を演奏したり絵を描いている。だから、夢をあきらめたとかいって何かをすっぱりやめてしまうひとがいますが、ぼくには理解しがたい。そうやって、すっぱりやめれるようなもんじゃないんですよ、やりたいこととか夢っていうのは。
もっと執拗で、もっと生理的で、もっと肉体的で。
だから、やりたいことが見つからないとか言ってるひとは、何か余計なことで自分のことが分かりづらくなっているんだと思うんですよね。まずは、その余計な何かを取っ払う。そのためには、やはり行動してみる、実際に自分で体験してみる、経験してみるっていうことがとてもいいと思います。