資本主義VS共産主義?

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 ここ数日、近現代史にとりつかれて関連する本を集中して読んでいます。きっかけは、茂木誠さんという予備校講師をされている方が書いた『世界史で学べ!地政学』という本です。二週間くらいひたすら読んでいたんですけど、だいたい頭にはいったなと思ったら、今度は別の本も読みたくなってきて、いろいろと買ってきてしまいました。池上彰さんの書かれた本もまざってます。

 

 どうしてこれほど集中して読むのか、自分でもよくわかりません。無理に説明できないこともなさそうですけど、なんかわざとらしくなってしまいそうです。「甘いもの食べたい」と思ったらケーキを食べたりするような、そんな感じなんですよね。理屈はとくにないような気がする。

 

 高校時代は社会の時間は睡眠にあてていたので、高校レベルの世界史とか日本史の知識はまったく頭にはっていません。そんなわたしの頭のレベルに、茂木誠さんの『世界史で学べ!地政学』という本がジャストフィットした。なんでもそうだと思うんですけど、自分にあったやり方とか本をみつけるって大事です。それが見つかってしまえば、ほとんど終わってしまったようなもんだ。あとは時間をかけて、果実が実るのを楽しみにまってればいい。

 

 近現代を貫いているもののひとつに、資本主義というものがあることに異論をはさむひとはいないでしょう。しかし、この資本主義はむかしの資本主義とは違います。

 

 資本主義とは何かということなんですが、ここではあまり深く考えないで、商品が市場という場所で貨幣を媒介として幅広く取引されること、くらいに考えておきます。そんなことだったら、むかしからたくさんあった。イスラム圏の都市や中国の都市でもそんなことはいくらでもあったはずです。貨幣だって使っていただろうし、そんなことは珍しくもなんともない。

 

 ただ、近現代に登場した資本主義はそういったむかしの資本主義とは何かが違う。さて、その違いは何か。それを解き明かしたのがマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。

 

 宗教改革、つまりキリスト教の原理主義的な運動が起きたときにプロテスタントのカルヴァンがとなえた予定説。人間が救済されるかどうかはすでに決められていることである。それは人間が何をしようがくつがえることはない。そういう考え方を前提として自分に与えらえた天職に没頭する。こういったプロテスタンティズムの倫理が近現代を貫く資本主義を発生させた、そういうことを説明しています。

 

 いろいろと批判のある考え方のようですが、わたしは説得力のある議論だと思って否定も積極的な肯定もしないで受けとめています。そういったことをするには、キリスト教や神学、宗教や歴史、経済学に関する知識がいまのわたしには足りなすぎますので。

 

 現代の世界を覆っている資本主義をいくら眺めていても、こういったことは分からない。どうしても歴史を遡る必要がある。そして、歴史をひもといているうちに、いまの社会を生み出した原因や淵源にたどりつくことがある。歴史を勉強する意義のひとつだと思います。

 

 第二次世界大戦後にはじまった米ソの冷戦は、資本主義と共産主義の対立という構図で描かれることもあり、最終的にはソ連の崩壊によって資本主義が勝利した、そう言われることもあります。ただ、こういった見方はあまりに偏っているような気がする。米ソの対立はあくまでアメリカとソ連という大国のつばぜり合いとしてとらえるべきで、それを資本主義と共産主義の対立だととらえることはしないほうがいいと思う。

 

 このように考えてしまうと、「共産主義は悪いんだ。悪なんだ」という考えに陥ってしまいます。一方で、「資本主義はいいものなんだ」という考えに単純になってしまうかもしれない。それどころか、アメリカの掲げた大義である、自由、民主主義、さらにはジーンズやアップル、IT革命、そういったものも無条件に「いいものだ」と思いかねない。わたし、かなり極端なこと言ってますけど、高校生くらいまでそうだったんですよね。単純にこれらのものをいいものだと思ってました。

 

 根拠がないにも関わらず、ある何かを肯定する。イデオロギーというんでしょうか、こういうのは。

 

 神を信じているひとを荒唐無稽だとして馬鹿者よばわりするひとがいますが、そういったひとだって説明できなかったり根拠を提示することができない何かを無条件に肯定しているはずです。どうしてそう思うんですかと聞けば「常識」とか「当たり前」っていう答えが返ってきそうな気がする。

 

 それこそ、国民国家や民主主義、貨幣や無宗教というものを無条件に受容していたりするでしょう。それは神という存在を当然のものとして受け入れているひとの態度とあまり変わるところがない。変数が変わっただけで、方程式自体はそれほど変わりない。ということは、起きうる問題も似てくるのではないか、こういう仮定も検証する価値がありそうです。