想像力は時間と空間、ひとの気持ちをこえることができる

photography imagination

最近は地政学とよばれる分野の本を読むことがおおくなりました。きっかけとなったのは茂木誠さんという駿台予備校で講師をされている方が書いた『世界史で学べ!地政学』という本です。

 

高校時代、世界史の授業なんかはひたすら寝てましたし、地理もセンター試験の三ヶ月くらい前になってからようやく腰をあげて詰めこんだ程度だったので、新聞やテレビで報道されている国際情勢に関するニュースは、ちっとも頭にはいってきませんでした。

 

それが最近ではニュースに奥行きが感じられるようになった。あれほど無味乾燥に感じられたニュースが、自分にとって身近な問題として受けとめることができるようになってきたのです。

 

ここ数日読んでいたのは、『地政学の逆襲 「影のCIAが予測する覇権の世界地図」』という本で、ロバート・D・カプランというひとが書いたものです。なかなか分かりやすい本で、もう二、三回はよんでみようかと思ってます。

 

それで、こういった国際関係に限ったわけではないんですけど、最近、本を読んでいると漫画を読んだり映画を観てるような気分になるんですね。文字を読んだときに情報を瞬間的に再生しやすくなってる。

 

風景。匂い。味。感触。ひとの気持ち。

 

最近はVRなんていうものが流行ってますが、人間の想像力はそれらと拮抗するどころか、はるかにしのぐんですね。だって、他人の気持ちや経験まで、まるで自分が経験したかのように感じることができるんですから。

 

ぼくがこんなふうに文字を読むことによって瞬間的に想像力を働かせることができるようになったのも、つい最近のことです。ここ数ヶ月はひたすら本を読んで文章を書くという生活をしていたので、そういったことが影響しているのかもしれません。

 

想像力さえあれば、いろんな国を旅することができるし、時代だってとびこえることができる。そして、ひとの考えや感情といったものも追体験することができます。

 

もちろん、それらはぼくが頭のなかに勝手につくりだしたものであり、自分のいいように解釈している部分もあったり、知識不足で誤解していたりもするのですが、そういったことも含めてかけがえがない。

 

村上春樹さんの小説に『海辺のカフカ』というものがあって、この小説のなかに想像力にかんするくだりがあります。ナチスドイツによるユダヤ人の虐殺を指揮した、アドルフ・アイヒマンの伝記にかんする記述のしばらくあとに、女性差別を糾弾する運動にかかわっている女性たちのいやったらしさを描いた場面がでてくる。ここで共通しているテーマは「想像力の欠如」です。

 

ぼく自身、小さいころからこういった他人の「想像力の欠如」によってほんとうに苦しめられてきました。ぼくを取りまいていた多くの大人が、どこまでも自分の価値観や経験にしたがってぼくに言葉を浴びせつづけたのです。

 

たしかにぼくがとっていた行動は、彼らの基準にはあわなかったんでしょうが、ぼくは自分なりの基準にしたがっていたわけで、ぼくの話もきかずに否定したり叱ったりするのはおかしいでしょう。今のぼくなら喧嘩をすることもできますが、小さいこどもにとって大人っておそろしい存在ですからね。暴力をちらつかせたりされて、萎縮した少年時代をおくることになってしまいました。

 

彼らは自分がどれほど暴力的なことをしていたのか、まるで気がついていないと思います。すべては「想像力の欠如」がなせることだ。

 

想像力はおそらく人間にだけ与えられた能力でしょう。この力をつかって人間は神話をつくり、神をつくり、そして自然と調和する社会を維持してきたのです。

 

人間だけが神をもつ。

 

ぼく自身はキリスト教やイスラム教といったものを信仰しているわけではありませんが、そういったひとたちの気持ちを想像することはできるようになりました。あくまでも自分なりに、ですが。

 

彼らにとって、神という存在はものすごくリアルなはずです。それはぼくらが貨幣や国家といった、ほんとうは存在しないけど全員がそれを信じることによって成立し力をもつものを信用しているのに似ている。

 

神を信じるひとがいなくなれば神はその力を失う。貨幣や国家も同じでしょう。信用を失った通貨の紙幣はただの紙クズに変身します。

 

貨幣や国家といったものを全員が信用しつづけるためには、たえず「演出」をする必要があります。それは神をあがめる宗教についても似たようなことが言える。

 

銀行や国会といった建物はどこの国も立派です。神殿のようにみえなくもありません。アメリカの選挙活動なんかもある種の盛大な儀式のようですし、ワールドカップやオリンピックなんかもそういった部分がありそうだ。

 

ホイットニー・ヒューストンやジェニファー・ハドソンといった歌手が、スポーツの試合前に国家をうたうんです。ぼくはYouTubeでその動画をみたことがありますが、なんというか、これから戦地に赴くような気分になります。

 

なんだか、とりとめのない文章になってしまいました。そのうち、しっかり論じれるようになりたいもんです。