これからの世界がどうなるか予測してみよう

企業のネットが星を覆い

電子や光が世界を駆け巡っても

国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来

 

1990年代に押井守が発表した『攻殻機動隊 Ghost In The Shell』の冒頭にかかげられている文章だ。当時、ずいぶんと話題になったアニメでぼくも全部のセリフを覚えてしまうくらいくりかえしみたものだ。

 

ぼくがこの映画をみてからすでに二十年近い時間がたっている。映画の設定は西暦2029年だから、あともう少ししたら映画の設定においつく。

 

いまやインターネットは世界中に普及し、処理できる情報量も膨大になっている。今後、ヴァーチャルリアリティにかんする技術や製品が普及するようになると、いままで以上に世界は身近なものになるだろう。

 

こうやってヒトやモノ、カネが国境をこえて行き来するようになると、国家というものは消滅するのではないか。そんなことを主張するひともちらほら見かけたりする。

 

きょうはグローバル化の進展によってこれからの世界がどうなっていくのか、少し考えてみたい。

 

1 資本、国家、国民

 

柄谷行人という思想家がいて、彼の著書に『世界史の構造』というものがある。

彼の主張をぼくは以下のとおりに理解する。

 

現代社会は、資本、国家、国民という三つの要素でできており、これらは相互に関連しあっている。そして、それぞれことなる交換原理によって支えられている。

 

資本は商品というものが交換される。ちなみに、近代に発生した資本主義と古代のイスラム圏や中国で発達した資本主義との違いは、人間の労働力が商品として扱われるようになったかどうかにある。奴隷は人間というものそれ自体を商品にしたものであり、人間の労働力を商品にしたものではない。

 

資本は放っておくと、必ず偏りが生じる。ピケティが主張したとおりだ。

 

富は偏在する。

 

ひとびとはこうした富の偏在を許さない。平等を、富の分配を主張する。なぜなら、同じ国民だからだ。ここでは仲間意識が共有され、感情がとびかっている。ナショナリズムとなづけてもいいかもしれない。

 

富の偏在の平等化は国家によっておこなわれる。国家は富をうばい、そして再配分する。これもある種の交換とみなすことができる。

 

このように資本、国家、国民は補完的な関係を築いており、それぞれがことなる交換原理にねざしている。

 

さて、この理論があるていど妥当だとしよう。そうなると、たとえば国家というものをなくそうという動きが活発化し、仮に国家が消滅したとしても、資本と国民という要素が存在する限り、それらは国家的なものの存在を回復させようとするだろう。

 

何かが国家の果たしてきた収奪‐再配分という機能を担う必要があるのだ。

 

であるからして、ヒトやモノ、カネが国境をこえてかけめぐるようになったからといって、国家がその役割をおえて自然と消滅するかというと、もしかしたらそうではないかもしれないなと思えてくる。

 

2 世界はフラット化するか

 

グローバル化が進展している。つい先日、YouTubeで世界のさまざまなマスメディアによるニュースをみていた。つかわれている言語はもちろん違っている。いまのところ英語が圧倒的だが、中国語やアラビア語による情報も大量にとびかっている。

 

こういった主要言語は存在し続けるだろう。全世界の人間が母国語を放棄して英語をつかうようになるとは考えがたい。

 

人間にはある一つの気質が備わっている。仲間をつくり、敵をつくりだすという気質だ。

 

これは社会をミクロ的な視点でながめても見出すことができるし、マクロ的な視点でながめても同じだ。自分が所属している学校や職場からはじまって、国家間のことを考えてみてもそうだ。

 

戦争は複合的な原因によって発生するが、その原因のひとつに人間にそなわっているこうした気質が影響しているのはまちがいない。

 

人間ははなれていると共通点を見出そうとするが、近づくと違いを見出そうとする。

 

英語を話す人間が増え、お金や情報が国境をこえて行き交うようになっているが、そうやって社会に均質化圧力が加われば加わるほど、自分たちの話す言語や背負っている文化、歴史や肌の色といったものが際立って注目されるようになるだろう。

 

3 地政学的条件

 

人間の社会がどのような変化をとげるとしても、海や山、河川や気候といった条件が急激に変化することはない。そして、これらは人間の行動や社会の動向を決定づけることはないにしても、大きな影響を与え続ける。

 

中国と陸でつながっている韓国と海を隔てている日本とでは、中国のプレゼンスの影響力が異なるし、海を隔てているという事実はそう簡単に変わることはないだろう。

 

そして、世界史というものを考えたとき、地理的・文化的要素を無視した人為的な境界線というものがいかに脆弱であるかということがわかる。北緯三八度線は果たしていつまで保たれるだろうか。

 

ヨーロッパと北アフリカは地中海を囲んでいるという点で深い関係性を保ち続けるだろうし、カリブ海を囲んでいるアメリカ、メキシコ、南米大陸の北に位置する国々も同様だ。南シナ海の覇権をめざす中国の動向は、ベトナム、マレーシア、フィリピンなどの国々とって重大な影響をおよぼすだろう。

 

国破れて山河あり。

 

国という人間がつくりだしたもののうつろいやすさを痛感した人間は、山や河といった永久的なものに想いをはせたのだろう。

 

4 最後に

 

さて、こうやってづらづらと書いてきたが、最後にひとつだけ。

 

それは、これから先の世界がどうなるかなんて誰にもわからないということだ。

 

ぼくはものすごく頭のいいひとが書いた本を読めば将来のことがある程度予測できると考えていた。でも、頭のいいひとの間でも見解は分かれてたりする。それも、少しだけ違うのではなく全く違ったりするのだ。

 

それでは、本を読んで将来の動向を予想する行為が全く無意味かといえばそんなこともないような気がする。

 

未来のことなんて誰にもわからない。でも、自分なりに歴史や社会のことを調べ、どうなるか予想し、それに基づいて備えておく。ぼくはそういった行為に価値があると信じている。これからも地道に勉強をつづけ、行動しつづけようと思う。