じぶんなりの言葉
じぶんなりの言葉というものは、他者の言葉でみがかれるものらしい。
たとえば、読書や対話によって。
古典を読むことはじぶんの言葉に普遍性をあたえてくれる。そう信じている。そして、対話は現代性と個別性をあたえてくれる。
そして、じぶんの言葉とそれをみがいてくれた他者の言葉はあまり似ていない。
読書と対話を繰り返していけば、じぶんなりの言葉というものができあがっていくだろう。
しかし、それはあくまでも結果だ。
なにはともあれ、読書と対話を楽しまなくてはいけない。
じぶんなりの言葉を手に入れたら、あとは無限のフィールドに飛びだしていく。素材は無限にあるからそれを自分の言葉で語り直すといい。
言葉は紡ぐものでもある。むりやり引き出そうとするとちぎれてしまう。
また、発酵というプロセスをへると言葉にコクがでる。発酵は時間がかかるのであせってはいけない。