無私であるということ
チューニングできるって、大切なことだと思います。
世の中の動向とか、いま目の前に座って話してるひととか。そういうものにあわせて、自分を変化させ、有益な情報を、適切なタイミングで提供できるかどうか。
そのためには、自分の虚栄心とか利己心っていうものを、極力、とりのぞくようにしなければいけない。
「有名になりたい!」そういうエゴで突っ走ってるひとは、「お前がでしゃばってる姿なんか、だれもみたくない」っていう気分になっているひとのことを想像してみるべきなんです。
きょうも少しだけ前にすすんだから
いろいろありますけど、とりあえず、きょうも少しだけ前にすすんだんで、これでよしとしますかね。
量が質を凌駕するのではなくて
この言葉、ぼくはすこし勘違いしてました。
正確には「気合いのはいった量が質を凌駕する」ですね。
ものごとに漫然ととりくんでいたら、いつまでたっても質なんてあがりません。